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2008年11月

2008年11月28日 (金)

この石は石である

Blog6

 ヘルマン・ヘッセが、存在の普遍性と永遠性についてを、石をとりあげて非常に美しい言葉で表現した一節があるので紹介します。

「これは石だ。石はおそらく一定の時間のうちに土となるだろう。土から植物、あるいは人間が生じるだろう。昔なら私はこう言っただろう。『この石は単なる石にすぎない。無価値で、迷いの世界に属している。だが、石は変化の循環の間に人間や精神にもなるかもしれないから、そのゆえにこれにも価値を与える』。以前ならたぶん私はそう言っただろう。

だが、今日では私はこう考える。この石は石である。動物でもあり、神でもあり、仏陀でもある。私がこれを尊び愛するのは、これがいつかあれやこれやになりうるだろうからではなく、ずっと前からそして常にいっさいであるからだ。

 これが石であり、今日いま私に石として現れているがゆえにこそ、私はこれを愛し、その条紋やくぼみのすべての中に、黄色の中に、灰色の中に、硬さの中に、たたけばおのずと発する響きの中に、その表面の乾湿の度合いの中に、価値と意味を見る。油のような手ざわりの石も、シャボンのような手ざわりの石もある。葉のようなものも、砂のようなものもある。それぞれ特殊で、それぞれの流儀でオームを唱えている。どれもが梵である。が、同時に、同様に、石である。油のようであったり、シャボンのようであったりする。そのことこそ私の意にかない、驚嘆すべく、礼拝に値するように思われる。

 だが、これ以上それについてことばを費やすのをやめよう。ことばは内にひそんでいる意味をそこなうものだ。ひとたび口に出すと、すべては常にすぐいくらか違ってくる、いくらかすりかえられ、いくらか愚かしくなる。そうだ、それも大いによく、大いにわたしの意にかなう。ある人の宝であり智恵であるものが、ほかの人にとっては常に痴愚のように聞こえるということにも、私は大いに同感だ」

ゴーヴィンダは黙々と傾聴していた。

「なぜおん身はそれを石について語ったのか」

「何の下心もなかったのだ。あるいはひょっとしたら、自分はほかならぬ石や川や、自分たちが観察し、学ぶことのできるこれらいっさいのものを愛するということを言おうとしていたのかもしれない。ひとつの石を私は愛することができる、ゴーヴィンダよ。一本の木や一片の樹皮をも。それは物だ。物を人は愛することができる。だが、ことばを愛することはできない。だから、教えは私には無縁だ。教えは硬さも、柔らかさも、色も、かども、においも、味も持たない。たぶんおん身が平和を見いだすのを妨げているのは、それだ。たぶんことばの多いことだ。解脱も徳も、輪廻も涅槃も単なることばにすぎないからだ、ゴーヴィンダよ。涅槃であるようなものは存在しない。涅槃ということばが存在するばかりだ」

(『シッダールタ』より)

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2008年11月27日 (木)

なにが起きているのか? 誰が癒しているのか?

Blog4

   「クリスタルのエネルギーがわからない」という声をよく聞きますが、クリスタルに秘められパワーを一生懸命知的に理解しようとしても難しいでしょう。「クリスタルは特殊なエネルギーを持っていて」「クリスタルを持つとそれがもたらされる」「外から」「自分の持っていないなにかが」「プラスされる」と言われているかもしれませんが、そうではありません。

 

  クリスタルのエネルギーは、ただ自分の内側で響くものです。わたしたちがクリスタルからなにか恩恵を受けるとしたら、クリスタルを通じて自分を知ることができるということに尽きると思います。

 

  クリスタルに触れるときに、自分が「何を感じ」「何を思い」「何が思い浮かび」「どんな身体感覚があり」「どんな気分になるのか」と、あくまでも、自分の内側で響くものを静かに捉えてゆくと、やがて「これはこうなんだ、これは確かな答だ、これは真実だ」と思えるような何らかの気づきにつながってゆきます。

 

つぎつぎに言葉が溢れてきたり、映像が見えたり、身体感覚的な反応だったり、直感的な知覚だったりと、人によって違うのですが、わたしたちは必ず、どれかのセンサーを使って感じています。

 

  そうして捉えた感覚は、クリスタルがもたらしたものではなく、クリスタルとの共鳴で自分の内側で起こった出来事であり、あくまでも自分の現実です。それはもともとあなたのなかにあって、体験される必要のあったエネルギーであり、光に照らされた魂が語るなにか、なのです。そう考えてゆくと、外にはなにもないということになりますね。

 

    クリスタルが導いてゆくひとつの道、それは真実の自己創造の旅です。それは、とても楽しい旅であり、本質的な自己の真実を生きることへの目覚めと、自分という存在の光と愛の資源を掘り起こしてゆく道でもあります。そして、それこそが、クリスタル・ワークの醍醐味です。その過程で、癒しは自動的に起こります。

 

「誰が癒しているのか?」といえば、ヒーラーではないし、クリスタルですらない。その方の魂のエッセンスが輝くことで、天地自然の生命力が正しく流れ出し、癒された状態に自然になるのです。ヒーラーはそのプロセスを最善のかたちに整え、見守り、サポートします。

ですから、ヒーラーという呼び方ではなく、ヒーリング・ファシリテーター(癒しを促進する、手伝う者)というほうが本来の役割を表す呼び方だと思います。

 

クリスタル・エンライトンメイト(enlightnment =光明)は、あなたの内側にあります。

クリスタルヒーリングは、ヒーリングという名の、

・どんなときも変わらぬ美しさで、シンプルに、純粋に、そこにあり続け、

・ただ在る、ということの完全性を知り、

・あるがままの本質を生き、

・魂の真実を表現してゆく

愛と喜びのエンパワーメント、サポートワークなのです。

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個人セッションの感想はこちら

Blog3

●ヒーリングのセッション後に、以下のような感想をいただいたことがあります。

 

・初めて、自分の深い部分の癒しができた

・平和でおだやかな気持ちになった

・すべてがあるがままで良かったと気づいた

・瞑想の聖なる空間に入れた

・本当の自分が求めていることがわかった

・いままでの自分と本質的な自分の違いが苦しみの原因だったとわかった

・すべてがすっきり、はっきりした

・幸せとは、自分だけ幸せになることではなく、みんなの幸せも自分も幸せだとわかり、自分のやりたいと思っていたことのなかに、これからはみんなを含めていこうと思った

・考え方が変わった

・迷っていたことにかんして、答えを見つけた

・自分を縛っていた恐怖から自由になった

・子供の頃のような素直な気持ちになれた

・周りの人達に感謝の気持ちがわいた

・嫌だと思っていたことが、気にならなくなり、むしろ、別の見方ができている自分に驚いている。いまのほうが、もちろん自分らしいと感じる

・景色が違って(美しく)見えた

・何気ない日常の尊さに気づいた

・幸せの感覚が訪れ、それが続いている

・仕事が楽しくなった

・久しぶりのpeace感じた

・自分の顔が可愛くなった

・心の曇りと暗さが消えて、若返った気がする

・猫背と肩こりが治った

・自分がいままで頑張ってきたなと、泣けてきた

・心も身体も軽くなり、引きこもっていた自分が元気に出かけ、映画を2本観れたのが信じられない

・自分がいつも愛されてきたことに気づいた

・リラックスできるようになり、睡眠剤がいらなくなった

・いままで、どんなに自分の頭がパンパンだったか気づいた

・なんでも悪い方悪い方へと考える癖が治った

・深いところにあった罪悪感と恥の感覚が消えた

・いやな記憶をもう思い出さなくなった

・人を、自分をゆるせた

・ヒーリングのせいかどうかわからないけど仕事が上向きになった

・人を信じられるようになった

・自分のなかから愛しさと優しさが沸いてきた

・冷静になれて、落ち着いた

・自分のことが好きになった

・なんだかわからないけれど、嬉しくてたまらなくなった

等々。

 

このほかに、なにかご感想・ご意見のある方はお気軽にコメント追記してください。

よろしくお願いいたします。

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新規ブログ開設しました

新しいブログをこちらで書いてゆきます。

以下の古いブログは11月いっぱいでクローズします。よろしくお願いいたします。

http://miyuki67.blog89.fc2.com/

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クリスタルをヒーリングに使う理由

Menu_healing1

クリスタルヒーリングをさせていただいていて、よく聞かれるのが「ほかにもいろいろヒーリングのメソッド・ツールがあるなかで、なぜクリスタルなんですか?」という質問です。

 

もちろん、「大好きだから」「きれいだから」「地球そのものだから」という答えもあるのですが、なによりも、わたしがクリスタルを愛してやまないのは、クリスタルの「結晶」という性質が持つ「美」に魅せられるからなのです。

 

    「結晶化したもの」、それは、存在としての究極の姿。極めてシンプルな分子構造を持ち、様々な物質のなかでも特に微細なレベルで完成された、存在としてのある種の極みの姿であると考えられます。それは、進化しようのない「終わり」を意味するのではなく、まさに「永遠」なるものと一致した姿なのです。

 

だから、わたしにとってクリスタルとは「始まりもなく終わりもない、創造と生命そのものがもっとも純粋な形で形体化したもの」と言えると思います。 ゆえに、進化する生命としてわたしたちはクリスタルから多くを学ぶことができるし、クリスタルとのかかわりのなかで、自分自身の無限の可能性を開く扉になるのではないかと思います。

 

    微細な世界の話を言葉にするのは難しいですね。どうしても抽象的になってしまいます。そこで、クリスタルのヒーリングで、具体的にどんなことが起こるのかを書いてみようと思います。

 

    まず、 ヒーリングとは「精神の危機的状況を支え、その人自身が統合的に調和し、身体と心、魂と霊性という全体性に回帰する力をサポートするもの」というわたしのなかでの定義があります。クリスタルは疑いなくその力をサポートすることができますし、受け手の方の準備ができていれば、その方がご自分自身の本質的な「自己覚醒」を促すこともあります。

 

  ヒーリングで深いワークに入る前に、時間をかけてチャクラ・バランスとエネルギー浄化をしているのは、その時間にリラックスしていただき、クライアントの方の「準備」をできるかぎりサポートするためなのです。 

● ヒーリングの際に、クリスタルが働きかけるエネルギーの経路

 

    では、実際のヒーリングの際に、クリスタルが働きかけるエネルギーの経路は、というと

・肉体
    ↓
・気・エーテル体
    ↓
・アストラル体
    ↓
・メンタル体
    ↓

という順序で、この領域は自我や日常的問題にかかわる領域で、ここに滞っているエネルギーを流すことによって浄化が起こり、健康状態や日常の問題をご自身で管理、解決してゆくことができるようになります。

もしも複雑なブロックがなければ、その方の意識はさらにその先のコーザル(元因)体の領域に向かって開かれ、そこでは自分自身の魂の情報や本質的なエネルギーに触れることもできます。人によっては前世や多次元的な体験をすることがありますが、それは選べるものではなく、その方の魂にとって必要なことが起こるようになっています。

 

調和の取れたクリスタルのバイブレーションは、その方の内なる愛と光を解放し、「健全さと良いバランス」という叡知を身体とオーラに記憶させてゆきます。内側から外側へ、また外側から内側へとエネルギーが循環するなかで、凝固した部分や停滞した部分は溶けてゆき、細胞のひとつひとつに浸透して、まったく自然に、エネルギーが正しいところに落ち着いてゆくのです。

 

そんなとき「ああ、人間って宇宙そのものだったんだなぁ」と思います。

オーラのエーテル層は肉体のひな型ですので、定期的にヒーリングをお受けになることによって、さまざまな肉体的、精神的な不調のケアにも役立ちます。

 

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2008年11月26日 (水)

調和の取れた内的覚醒とは

 「覚醒」とは、よく使われる言葉ですが、定義があいまいなものでもあります。ここでは、ninianが目指す「覚醒」の特徴について、ロベルト・アサジオリの「サイコシンセシス」(精神統合心理学)より引用し、まとめてみます。

●調和の取れた内的覚醒の特徴

・喜びの感覚があり
・人生の意味・目的についての洞察を持ち
・精神的光明を得ていて
・多くの疑念を払い
・数々の問題を解決する力があり
・安心立命の感を与え
・生命はひとつであるという気づきがあり
・その人を通じて、同胞・万物に対する友愛がほとばしり
・パーソナリティの辛辣で冷酷で頑固な部分がなくなり
・愛に溢れ
・愛すべき存在として、他者に親切であり
・奉仕し
・分かち合い
・世界を美しいものと見て
・すべてに微笑みかける

 

となります。その人の心は絶対の平和のなかに定まり、もはやなにものにも影響されない境地、といった感じでしょうか。すべてを生命の本質から来る喜びから行なうことができ、ただなすべきことをなしている。そして、日常のなかにある聖なるもの、善、光を見分け、独創的でいて、存在自体が進化の方向を指し示すエネルギーを持っているので、その人がいるだけで、周りが自然に癒され、成長してゆく、そんな愛のある状態だと、付け加えたいと思います。

それは、得るものではなく、自然に成るものだというのも特徴のようです。

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