存在の癒し~ありのままを慈しむこと
新しいメニューに「存在の癒し&カウンセリング」というセッションがあります。これは、6月15日に完成されたもので、以前行なっていた「エンブレイスセッション」がバージョンアップしたものです。
追記:現在このメニューは「エグジステンシャル・ガイダンス」という名前に変更しています。10/17
メニューに書いたとおり、ここが要らないから取り去ってしまうとか、消そうとするのではなく、どんなものも、そのままのそれを、ありのままに慈しむことで、自分のなかからすべてを活かし、愛する力を育んでゆく、そんなワークです。
光も闇も慈しむ、そう書くと、光と闇というものがあるように感じますが、それは見えているところと見えていないところの別名で、全部が見えたとき、光と闇という区別はなくなります。
光を求めているとき、外に愛や力を求めているとき、ひとつの方向の光しか見えないので、背後が影になります。
けれども、大きな闇や影を体験している人ほど、大きな光を見ているし、また見ることができるということは、その人のなかに大きな光があるということになります。
なぜなら、意識できるものしか、わたしたちは心にとめることができないからです。
その人は自分のなかの崇高な光、言いかえれば、大きな調和に向かっているからこそ、影が見えてくる。けれど、それは、本当は不調和ではなくて、その人が誰のものでもない、自分だけの光に真摯に向かう姿だとわたしは信じています。
光と闇はひとつですよね。
けれども、自分のなかのいろいろな思いやいろいろな側面を、おそれずに、正直に、それと闘わずに受けとめる、おそれも怒りもあっていい、だって、それが自分であることは間違いないのだから、と認めると、結構、全体が見えるので、全体が光ってきます。
でも、全部が光ってなければいけないということもないので、だから、光も闇もいいんだということを受け入れて、すべてを慈しんでゆく、存在の癒しとは、そんなワークだと思います。
自分ではネガティヴだなと思う感情さえも「・・でも、これが、いまの正直な気持ちだし、これがいまのわたしなんだ」と、自分のなかに含む、それがあるのを認められたとき、闇は光に含まれて、すべてが宝物で、すべてを愛することのできる自分になってゆきます。
わたしには、「大人にならなければいけない」とか「もっと洗練されていなければいけない」など、たいへんな思いを自分に課して生きてたときがあります。
自分では、それはなにより大切に感じられ、そこからズレてしまう自分がいることが恐怖でした。自分をはげましたり、より良くなってゆくためのポジティヴな努力をしなければと必死になっていたときがあります。
そんなときはよく、たいへんそうだね、とかストイックすぎるなんて言われてました。
いまでは、そんな風だったのは、おそれていたからだと思っています。
本当に望んでいたのではなく、こうでなければ愛されないというおそれから自分を厳しく制していたのだとわかる。
でも、そのことに気づけば、おそれなくてもいいことがわかってくるから、子供みたいでもいいし、無理しなくていいこともわかってきます。
おそれがおそれであることを見抜けたら、おそれはなくなります。影に対して、お前は影になってしまったわたしの一部だったんだね、と言えたとき、影は喜んで自分のなかに消えてゆきます。
ありのまま、というのは、無軌道なことではなく、おそれのない状態にとどまれる愛と強さのことです。
そんなふうに、自分を愛することができたら、世界のすべてを愛している自分に気づくでしょう。なぜなら、世界は、自分の心が展開しているにすきないのだから。
このセッションで、そんな体験をしていただけたらと願っています。
ちなみに、このワークは、わたし自身のすべてを手放した体験と、スーパーバイザーの指導を受けて構築したワークです。
また、スーパーバイザーとのセッションで、わたしのレムリアの叡知の取り戻しも行なわれ、セッション中にその方が求めるものにしたがって、レムリアの叡知の宝箱にアクセスできるようになりました。
求めていただければその場でもっと豊かなものを一緒に創造してゆくことができるようになると思うので、わくわくしています。
求めていたことが叶ってゆく喜びも、ともに体験してゆけたら幸いです。








最近のコメント